塩味ビッテンさん
レビュアー:
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蘊蓄もののエッセイは鼻につくので決して読まない塩味ですが、この著者の文章力には脱帽です。神は「プロ料理人の技量と玄人はだしの筆力」といった2物を関谷氏に与えました。うらやましい。
美味礼賛(海老沢 泰久)という名著があって、辻料理学校の創始者辻静雄が、フランス料理を独学して日本に持ち込む物語。いわゆる偉人伝で辻静雄本人の筆による自伝ではありません。美味礼賛が大変面白かったので、本書「魚味礼賛」もこのたぐいかと思って手に取ったのですが、さにあらず。現役の寿司職人浅草の老舗「紀文寿司」の四代目で,言ってみれば魚のプロがお魚に関する薀蓄を述べるのです。
この手の薀蓄ものは大嫌いな私で、何故なら多くの薀蓄本は所謂「評論家」が書いた物で、例えば服装関係では現場のデザイナーやアパレル業者ではなく 「ファッション評論家」、経済関係ならば日銀総裁や財務官僚でなく「経済評論家」、芸能関係なら歌手や役者でなくて「芸能評論家」が書いているため責任も無く表層的で、従って深みも重さもない作品となっているからです。プロが自分の苦労や努力を責任もって、誇りを持って語る言葉以外に真実や感動はありません。多くのハウツーものや薀蓄ものはこうして上滑りな、読みやすいが後に残らない出版物として消え去ってゆき、名著といえるものは数少なく、読者の記憶にさえ残らないまま消えていっています。私は、これを「時間の無駄」と考えるから薀蓄ものには手を出さないようにしています。
但し、歌手や役者が読むに耐える文章をかけるとはとても思えず、せっかくの真実を読者に伝えることは絶望的に無理ということも事実です。
前置きが長くなりましたが、天は著者「関谷文吉」に2物を与えました。文章の技と包丁の技です(といっても私は関谷氏の寿司を食ったことがありませんので包丁の技が確かかどうかは解りませんが)。
著者は自分の味覚に絶対の自信を持っており,魚の味わいが,筆者の経験と豊富な知識で詳しく論じられています。塩味のような平民にはその説明が正しいのかどうかは,率直に言ってよくわからないし、もしそうならば毎日食べている平民の食卓のお魚とはいったい何なんだ!!!! とむかっ腹が立ってくるほどレベルが高すぎです。
関谷氏の主張の一貫したこだわり「魚の生命は香りだ」という論自体が,平民には実感できません。しかしながら魚の味の表現力が素晴らしいため、少なくても本書を読んでいる間はこの美味を疑似体験できるという大変おいしい本となっています。
このように筆者の文章には説得力があふれていて、ちょっとナルシストでもあるのですが、嫌味を感じさせないのが経験と自信の裏打ちというものでしょう。
最後にこの文章に全く同意!!!
君子危うきに近寄らず,「情報と能書き」書であるハウツー本やエッセイを廃していい小説(フィクション)を読みましょう。
この手の薀蓄ものは大嫌いな私で、何故なら多くの薀蓄本は所謂「評論家」が書いた物で、例えば服装関係では現場のデザイナーやアパレル業者ではなく 「ファッション評論家」、経済関係ならば日銀総裁や財務官僚でなく「経済評論家」、芸能関係なら歌手や役者でなくて「芸能評論家」が書いているため責任も無く表層的で、従って深みも重さもない作品となっているからです。プロが自分の苦労や努力を責任もって、誇りを持って語る言葉以外に真実や感動はありません。多くのハウツーものや薀蓄ものはこうして上滑りな、読みやすいが後に残らない出版物として消え去ってゆき、名著といえるものは数少なく、読者の記憶にさえ残らないまま消えていっています。私は、これを「時間の無駄」と考えるから薀蓄ものには手を出さないようにしています。
但し、歌手や役者が読むに耐える文章をかけるとはとても思えず、せっかくの真実を読者に伝えることは絶望的に無理ということも事実です。
「講釈師、見てきたような嘘をいい」講釈師は語りのプロで上手く聴衆に情報を伝えますが、その内容は脚色満点で必ずしも真実ではないわけですね。
前置きが長くなりましたが、天は著者「関谷文吉」に2物を与えました。文章の技と包丁の技です(といっても私は関谷氏の寿司を食ったことがありませんので包丁の技が確かかどうかは解りませんが)。
著者は自分の味覚に絶対の自信を持っており,魚の味わいが,筆者の経験と豊富な知識で詳しく論じられています。塩味のような平民にはその説明が正しいのかどうかは,率直に言ってよくわからないし、もしそうならば毎日食べている平民の食卓のお魚とはいったい何なんだ!!!! とむかっ腹が立ってくるほどレベルが高すぎです。
関谷氏の主張の一貫したこだわり「魚の生命は香りだ」という論自体が,平民には実感できません。しかしながら魚の味の表現力が素晴らしいため、少なくても本書を読んでいる間はこの美味を疑似体験できるという大変おいしい本となっています。
「河豚などは味が無いと思われていますが、その味の無さの奥に、神秘的なただならぬものが潜んでいるのです、そういったもののなかに品格の高さ、調子の高さというものがひそんでいるのです」45p。うーん、味は哲学なのです。
「鰯というものは強烈な個性を持っています。そのために口の中で上手いと感じる前に脂の切れの悪さと臭みがあります。しかしこれは外洋の鰯にいえること で、少なくとも内湾に入って10日以上経過した鰯にはそういった臭みや重くるしい脂の厚みはありません」89p。そんな事いわれても、鰯を見張ってるわけ には行かないし・・・。
「砂糖というものは料理の本質を冒涜するものであるような気がします。よくない素材を使う場合は砂糖ほど重宝な調味料は無いわけです」99p。なるほど。私はすき焼きが嫌いです。
「撫で付けるようにそよ風が運ぶ桜のつぼみのそのかすかなほころびの馥郁たるにおい、それが鮭本来の味惑に思われてなりません」101p。鮭にここまで風味を要求するのも・・・
「(スズキの洗いは)噛み締めると抵抗するかのように歯にしっとりと絡みつく弾力性の奥から、滝の飛沫のように飛び散る力強い味わい」122p。白身の洗いにここまで力強さを求めるとは・・
「海に夏がやってきて,磯が色めきだす頃,・・・青い空が間近におりてきて一瞬色を失った白い空のなかに,またたくまに自分の体が吸いこまれていくよう な・・・肉体離脱感覚といった無知覚な世界。ホシガレイの味わいには,そんな幻想的な魚味があるように思えてなりません。」枕草子かと思いました。
このように筆者の文章には説得力があふれていて、ちょっとナルシストでもあるのですが、嫌味を感じさせないのが経験と自信の裏打ちというものでしょう。
最後にこの文章に全く同意!!!
「食に関する情報と能書き(薀蓄というよりこの言葉が妥当)が洪水のように氾濫する世の中で、それに苦痛を感じない人々は、おそらく情報を疑うことを知らずに能書きを鵜呑みにしてしまっているのだと思うのです。」
君子危うきに近寄らず,「情報と能書き」書であるハウツー本やエッセイを廃していい小説(フィクション)を読みましょう。
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「本を褒めるときは大きな声で、貶すときはもっと大きな声で!!」を金科玉条とした塩味レビューがモットーでございます。
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- 出版社:中央公論新社
- ページ数:257
- ISBN:9784122041400
- 発売日:2002年12月01日
- 価格:843円
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